ホーム > 大会の歴史(第1回~第5回)
北海道マラソンは、日本国内で唯一、夏に行われるフルマラソン大会です。1987年にわずか439人のエントリーで始まった本大会は、20,000人規模に成長しました。オリンピックや世界陸上に選出された日本代表選手の約4割が本大会に出場しており、トップクラスのランナーと一緒に走れるあこがれの舞台です。
今年もさっぽろテレビ塔の電光時計によるカウントダウンを合図に、感動のドラマが繰り広げられます。
札幌・厚別競技場が発着の記念すべき第1回大会は439人がエントリー。
優勝は男女ともソ連(当時)勢。
マラソン・シーズン制(11月〜翌年3月)の例外として、日本陸連から開催が認められた北海道マラソン。まずは市民ランナー主体の大会としてスタートした。
男女が同時に走る東北、北海道では初めての本格的なフルマラソンとあって注目を集め、記念すべき第1回大会には439人がエントリーした。しかし、体調を崩して無念の棄権をした人もおり、出走したのは男女合わせておよそ380人。海外からも選手を招き、米国、カナダ、ソ連(当時)など5カ国の姉妹都市から男女19人が参加して、華やかに国際色を盛り上げた。また、併せて開かれたファミリーマラソンにも家族連れなどがたくさん参加した。
大会当日は、雨と風に見舞われるあいにくのコンディションだったが、参加者は札幌・厚別公園競技場を発着点とする宮の森折り返しコースに元気いっぱいチャレンジした。男子は15km過ぎから独走、2時間24分28秒でゴールインしたフョードル・V・リジョフ、女子はルイッツヤ・R・ベリヤエバが2時間42分17秒で1位となり、ソ連(当時)勢が鮮やかにアベック優勝した。
エントリー数は約730人。気温30度の中、男子は日本陸連派遣の西が優勝。
ロス五輪女子マラソンで話題となったアンデルセン選手も出場。
札幌・厚別公園競技場を発着点に、宮の森を折り返す基本的なコースに変わりはなかったが、高低差の解消と都心部の交通緩和のため、一部が変更になった。第1回大会の成功で人気が一気に高まり、エントリーしたのは男女合わせて約730人。
海外招待選手は米国、カナダ、中国の3カ国、男女17人。この中には、1984年(昭和59年)のロサンゼルス五輪女子マラソンにスイス代表で出場、よろめきながらゴールして世界を感動させたガブリエル・アンデルセンもいた。アンデルセンはその後、米国に住んでおり、大会には米国選手として出場した。
注目されるのは、この大会がマラソンの暑さ対策のテストケースとなったこと。世界陸上選手権の東京開催を3年後の夏に控え、難敵の暑さをどう克服するかが課題となっていた。こうした背景があって、日本陸連は西政幸、児玉泰介(いずれも旭化成)ら4人を派遣選手として出場させた。
出走したのは約600人の男女。都心部では気温30度を超す過酷なレースとなった。男子は西が優勝、2位児玉、3位近藤龍二と、日本陸連派遣の旭化成勢が3位までを独占した。女子はジェーン・マリー・ウェルゼル(米国)が勝ち、アンデルセンは3位だった。タイムは西が2時間17分11秒、ウェルゼルは2時間40分53秒。
北海道マラソンが日本陸連の夏季強化レースに。
約1,000人が参加、男子は招待選手の谷口、女子は海外招待のローレイン・モラーが優勝。
ロサンゼルスに続き、1988年(昭和63年)のソウル五輪でもメダルに手が届かなかった日本マラソン陣。いずれの場合も暑さがカベとなった。そこで、浮上したのが夏場の北海道マラソン。日本陸連は玉造マラソン(島根県)と併せ、北海道マラソンを夏季強化レースとして位置づけ、再建のカギを託した。
国内トップクラスのレースになったことに伴い、日程とコースが変更になった。日程はそれまでの9月から8月に、新コースは、札幌・真駒内屋外競技場をスタートし、市内7区(当時)を回って中島公園にゴールする国内初の片道コース。
海外招待選手ほか、日本陸連、道陸協の招待選手、それに一般参加者が混じってエントリーは1,185人。このうち、844人が出走した。レースは一時、雨がパラつく蒸し暑いコンディションの中で進められ、男子は安定したペースで走り抜いた招待選手の谷口浩美(旭化成)が2時間13分16秒で優勝。海外招待選手のイブラヒム・フセイン(ケニヤ)は腹痛のため途中で棄権した。女子は海外招待選手のローレイン・モラー(ニュージーランド)が2時間36分39秒で快勝した。
この大会には、日本陸連科学部も出動。有力選手を対象にレース前後とレース中の生理変化、給水量測定など、さまざまな角度から測定調査を行った。
国内外のトップ選手が参加し、世界陸上の代表選考レースとして開催。
猛暑の中、篠原(神戸製鋼)とリサ・ワインデンバック(米国)が優勝。
第4回大会は、翌年の世界陸上選手権(東京)の代表選考レースを兼ねて行われた。この大会から日本陸連が後援することになり、これで夏の北海道マラソンは国内の主要レースに仲間入りした。
海外の招待選手は6カ国の男女15人。男子はエチオピアのアベベ・メコネン、スティーブ・ジョーンズ(英国)、女子はリサ・ワイデンバック(米国)ら、世界のトップランナーが顔をそろえた。国内招待選手は男子が篠原太(神戸製鋼)、渋谷俊浩(雪印)ら、女子は山下佐知子(京セラ)、浅井えり子(日電HE)ら合わせて26人。
レース当日は夏空が広がり、都心部は30度を超す暑さ。約980人がスタートしたが、完走したのは780人だった。男子で優勝したのは篠原。ゴール前1km地点でトップの渋谷をとらえ、2時間15分32秒のタイムでゴールした。スティーブ・ジョーンズが2位を占め、注目のメコネンは25km地点で棄権した。女子はワイデンバックが2時間31分29秒の大会新をマークして優勝、山下が2位に入った。
この大会では、通気性に優れたメッシュのシャツやシューズなど、暑さ対策に開発された秘密兵器も登場して話題を集めた。
バルセロナ五輪の代表選考会を兼ねて開催。
女子は2年ぶりにローレイン・モラーが優勝。
翌年に迫ったバルセロナ五輪の最初の代表選考会を兼ねて開かれた。前回、前々回より約3週間早い開催。当日の沿道は、照り返しで気温が32度を超し、炎天下のレースとなった。
出場したのは、国内外の招待選手、一般参加合わせて約1,100人。このうち913人が完走した。男女とも招待選手が中心となり、男子は藤田幸一(沖電気宮崎)が20km過ぎから抜けだして2時間17分05秒で優勝、これも招待選手の西本一也(九州産交)が2位を占めた。女子は第3回大会のチャンピオン、ローレイン・モラー(ニュージーランド)が2時間33分20秒で2年ぶりの優勝を飾った。2位は前回の勝者、リサ・ワイデンバッグ(米国)。